2012年9月16日日曜日

大学公募の面接

 前回、大学教員の公募について書きましたが、それは、おもに一次審査(書類選考)のお話。
 実際には、書類選考を通った後、二次審査(面接)が行なわれます。
 大学や学部学科によって二次審査の内容は異なります。
 私の場合、二度、大学教員公募の二次審査を経験しました。
 1度目は理事会面接(30分)+人事選考委員会面接(60分)の2本立て。理事会の面接では、その大学の理事長、理事、事務局長が相手。人事選考委員会面接は8名の教員が相手。
 人事選考委員会面接では、最初の20分で自分のこれまでの研究と教育についてプレゼンし、残りの時間に質疑応答といったものでした。
 2度目は、人事選考委員会による面接(40分)のみ。面接官の人数は5人。こちらもまずは研究と教育経験についての説明。その後、採用された場合に担当するであろう科目について、どのような授業を行なうか等の質問があり、応答。後は一般的な質問。

 最近では、実際に模擬講義を行なわせることもあるとか。
 いずれにせよ、面接による二次審査までたどり着けたなら、その面接がどのようなものなのかについてある程度の予測をして臨むことが重要でしょう。
 人事選考委員に入りそうな教員を調べ、その大学が求めている人物像、スペックを明確にする。そうした作業で内定をもらう可能性を上げることは可能だと思います。

 当確がいるデキレースのあて馬じゃないことを願いつつ。

 では、また。

2012年9月15日土曜日

大学教員の公募について

 大学の教員採用。
 最近標準的になってきたのが、公募です。
 欲しい研究者の情報を明示し、全国に公募するのです。
 すでに候補者が決まっている「出来レース」もあるのが実情ですが、最近では純粋に実力を問い、フェアに選考する公募が増えています。

 さて、この公募ですが、大学院生やオーバードクターが非常に多い現在、ひとつのポストに数百の応募者が殺到することも珍しくはありません。
 ですから、自分が応募できる募集があっても、そう簡単には通らないのです。
 私の場合、最初の大学に決まるまで、12校の大学公募に応募し、断られました。今ではこの12校というのはまだまだ少ない方で、40、50校に応募しても結果がでないこともある厳しい状況なのです。
 私は某大学に採用され、そこで5年働いた後、別の大学に公募で移りました。
 つまり、公募には2回通ったわけです。
 いずれも、応募締め切り日から2週間以内に一次選考合格の通知をいただきました。その後、1か月以内に面接を行ない、内定という流れです。

 面接については、また後日書きます。

 

 

2012年9月14日金曜日

大学の教員になるには

 あまり知られていない、大学教員の採用人事。
 採用には様々なパターンがありますが、もっともスタンダードかつ正当な(?)研究者養成のプロセスを紹介します。(ちなみに私自身は人文社会系です。)
 まず、まともな(?)大学の教員になるには、学位が必要です。それも博士の学位です。
 もはや文系でも博士が求められます。
 博士となるには、大学院修士課程、博士課程と進学し、論文を書いて審査を通過しなければなりません。そう簡単ではないですね。しかし、まっとうな研究者はこうした道を歩んで来ています。
 さらに、多くの場合、大学院博士課程を終えた後は、すぐに大学教員になるのではなく、研究員や助手などを務めることになります。または、大学の非常勤講師を複数担当し、経済的に不安定な時期を送ります。(個人差がありますが、40代半ばまでこのような状態が続くことも稀ではありません。)
 その後、実力と運が伴った人は大学の常勤ポストをゲットするのです。まずは助教や専任講師となることが多いです。

 ただし、大学の常勤ポストをめぐる競争は激戦です。分野によっても異なりますが、ひとつの椅子をかけて、数百人で争う事も珍しくありません。
 さらに、常勤のポストを得ても大学間で大きな待遇面での遇格差があり、安定的に研究を続けることができる環境を得ることができる研究者はごく一握りの人に限られるというのが現状です。

 給与面での格差については、こちらの記事をご参照ください。
 
 ポストをめぐる争いが繰り広げられる「公募」にもいろんなドラマがあります。
 その話はまた後日。

旧帝大とは

 大学の教職員や院生なら聞き慣れた言葉でしょうが、一般にはあまり馴染みのないことばに「キュウテイダイ」というものがあります。
 学外でもたまに質問されます。
 「キュウテイダイ」とは、「旧帝大」であり、「旧帝国大学」のことです。
 具体的には、東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学のことで、「七帝大」と言われることもあります。
 帝国大学とは、戦前日本に存在した、東京帝国大学、京都帝国大学、東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、京城帝国大学、台北帝国大学、大阪帝国大学、名古屋帝国大学のことで、その後身である前述の大学が「旧帝国大学」=「旧帝大」と呼ばれているのです。
 大学の教員をしていると、ほとんどの場合、この「旧帝大」出身者の同僚がいるはずです。
 各分野の博士課程を有し、いわゆる伝統的な研究者養成を行なっているのが、この「旧帝大」なのです。
 もちろん、そうでない大学院の出身で大学教授になった人もいますし、そういう人が必ずしも能力的に「旧帝大」大学院出身者に劣るわけではありません。
 ただ、大学の世界にいると必ず何らかの縁があるのが、この「旧帝大」なのです。

 ではまた。

2012年9月13日木曜日

大学教員の給料・給与・年収

 さて、今日は大学の教員の待遇面の話です。
 つまりは、給料のことです。年収。

 「年収ラボ」によれば、大学教授の平均年収は1,114万円だそうです。
 しかし、実態としては大学間での差が非常に大きいのです。
 平均はあまり意味がありません。

 給料が高い大学として挙げられるのは以下のような大学です。

1.明治大学
2.早稲田大学
3.中央大学
4.立教大学
5.関西大学
6.関西学院大学
7.同志社大学

 やはり有名な大学、そして規模が大きい私立大学が高待遇です。
 上に書いた大学では、35歳准教授でも1,000万(年収)もらってます。それに見合う仕事をされているのは当然ですが、勝ち組ですね。

 しかし、今や700校を超える大学の中で、そのように恵まれた大学で働く人ばかりではありません。
 現在は多くの大学で定員割れしており、経営に苦しんでいます。つぶれる大学もでてくるでしょう。
 ですから、同じ35歳准教授で500万程度の年収の人も決して少なくありません。むしろ人数はこちらの方が多いでしょう。それ以下の人だっています。ボーナス0の大学もあります。
 国立大学(法人)は有名私大とその他の大学との中間あたりでしょうか。

 とにかく、研究費や各種手当を含め、大学間にはそうとうな格差があります。
 待遇についてはまた改めて書きます。
 

2012年9月11日火曜日

大学教員の職格

 大学教員には一般的に以下のような職格があります。

1.教授

2.准教授
3.講師(専任講師)
4.助教

 教授や准教授は比較的よく知られていますが、講師、助教はあまり聞きなれない人も多いのではないでしょうか。

 一般的には助教→講師→准教授→教授と職格を上げていくことになるのでしょうが、ずっと助教、ずっと講師ということも珍しくはありません。
 職格を上げる際には、勤務実績や学位、業績、社会活動等を勘案します。実態としては、経営の厳しい大学はお金の問題で昇任がペンディングされていることも多いのです。
 では、こうした大学の教員はどのように採用されているのでしょう。
 多様なパターンがありますので、そちらは追々書いていきます。

2012年9月9日日曜日

大学の数

 現在日本にどれくらいの大学が存在しているのか、皆さんはご存知ですか。
 2012年現在、なんと780校もの大学があるのです!
 そのうち、皆さんは何校の大学の名前が出てくるでしょうか。
 今、皆さんの頭にすぐ浮かんでくる大学は、そうとう有名な、かつ、ちゃんとした大学なのです。(近くに住んでいるから知っているマイナー大学以外。)
 当然、教員としてもどの大学に勤めるのかによって、その社会的地位や待遇は大きく異なります。同じ「大学教員」であることを忘れてしまうくらいの格差です。ですから、若手の研究者はまず、無名大学で修業し、優秀かつ運が良ければ有名大学に移籍することを目指すのが当たり前になりつつあります。(そうはいっても実際に移籍できる優秀な研究者はごくわずかです。)
 状況によっては例外もあるでしょうが、国内では、旧帝大や「MARCH」(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)といった大規模かつ有名大学に籍を置くことができる教員はいろんな意味で「勝ち組」でしょう。
 しかし、そんな大学の教授になれるのは研究者のうちごく僅かです。 旧帝大と「MARCH」合わせてもたったの12校。780校のうちの12校。

 もちろん、それ以外の大学でも充実した研究者生活を送っておられる方はたくさんいます。そんな方々は幸せです。
 しかし、なかなか厳しい世界なのです。

 ではまた。