2014年2月26日水曜日

日本の大学数

日本にはたくさんの大学があります。
平成25年度文部科学省の統計資料によると、日本には782の大学があります。
さて、皆さんが挙げることのできる大学はいくつですか。


2014年2月22日土曜日

給与面では国立より私立(大規模)

大学教員の給料・給与の話をたびたび取り上げましたが、この類の話で最近よく耳にするのは「国立の給料が低い」ということです。
割と早い段階で頭打ちになり、「下がることはあっても上がることはない」状態に入るようです。

大学業界全体が斜陽産業ですので、私立も厳しいところが多いようですが、大規模な私大では国立よりもはるかに高待遇のようです。
これから就職を目指す人、あるいは他大学に移ることを考えている人はこうした面についての情報も得ておくとよいのではないでしょうか。

ちなみに小生の場合、中の中規模大で国立よりも若干良いくらいかと。

macbook 2014

いつもの大学関係の話ではありません。
いまもっとも気になっているのがMacbookです。airでもproでもいいのですが、2014年に刷新される新たなmacbookです。
「大きな変化」が予想されるので期待しています。

2014年2月8日土曜日

過信者は落ちる

いろいろと忙しくしておりました。
かなり久しぶりの更新となります。

この時期になると、来年度の身の振りが決まっておらず、4月からの生活を案ずる若手研究者(の卵?)と話す機会が増えます。

そこで感じたこと。
どんな人にとっても大学教員の公募を勝ち抜くことは困難な今日ですが、なかなか結果が出ない人の特徴のひとつに過信があります。
「もっと自信を持てばよいのに…」と思う人もいる一方で、最近話した人には、「もっと謙虚にならないと決まらないよ」と言いたくなる人がいました。

「自分の年齢、業績、学歴が他の応募者に劣っているはずがない。なのになぜ決まらないんだ。おかしい!」」というのです。
よほど学歴や自分のケンキュウ能力に自信があるのでしょう。
しかし、はっきり申し上げると、そのような認識を改めない限りこの人は就職することはできないでしょう。あなたくらいのレベルは掃いて捨てるほどいますよと言いたくもなります。

人事に関わったことがあればわかることでしょうが、公募を出せば非常にたくさんの応募があり、その中にはかなりの猛者が含まれています。
しかもその猛者はひとりふたりではありません。(大学によって人数は異なるでしょう)
自分がその猛者のひとりであったとしても前記したような認識では勝ち残れません。

具体例を挙げます。
仮にあなたが現在35歳。アメリカの某有名大学で博士号を取得し、その後ガクシンのPD、5つの大学での非常勤講師の経験があり、単著5冊、レフェリー論文30本の業績を持っていたとします。
このスペックで国内某大学の専任講師の公募に応募するとします。
この場合、猛者のひとりになり得るかもしれませんが、それだけでは決まりません。

学歴や研究業績は最低ラインを超えてさえいればOKで、それ以上でも以下でもありません。
いちいち論文数を数えて順位をつけたりはほとんどの場合しないでしょう。
それよりも一緒に働きたい人間であるかどうかというポイントが重要です。
↑「研究者なのにそんな判断基準はばかばかしい」と思ったら危険です。就職できません。

総合的に見てその人が魅力的でなければ採用されないと考えてよいでしょう。
そのことに気付かない限り過信者が就職するのは難しいと思います。
人気公募に通る人は優秀で業績があっても「自分はまだまだだ」と思っている人のはずです。


2013年3月19日火曜日

次年度の教員公募について

さて、今年度も残り2週間ほどとなり、来年度の人事採用計画の話もちらほら聞こえてくるころになってきました。
中には、この時期に今年の4月1日着任予定の採用人事の話をいまだにすすめている大学もあるようです。
教員公募に応募する立場からすると、遅くとも着任前年の夏までには正式な採用の連絡をもらい、割愛承認のための根回しや、後任の採用にとりかかりたいものです。
ポスドクや大学院からの就職ならば直前でもよいのかもしれませんが。

あまりに採用の連絡が遅れると、割愛が承認されなかったり、着任の時期を半年か1年延ばされるということも起こります。

公募を出し、実際に採用が正式に決定するまで、長い時間がかかるということを前提に採用計画はすすめなければいけないのでしょう。

2013年2月24日日曜日

修了か単位取得退学(満期退学)か

大学教員の公募の必要提出書類には、必ず履歴書が含まれます。
履歴書を出さなくてよい公募など聞いたことがありません。
そして多くの場合、履歴書には学歴欄があります。
大学教員のポストに応募しようとしている人の多くは大学院の博士課程まで通った人が多いでしょう。(たまにそうでない人もいます。地方私大や短大には、修士だけでなく、学部卒の人もけっこういます。)

そこでよく見かける独特な表現に「単位取得退学」「満期退学」といったものがあります。
具体的には、「平成24年3月 ○○大学大学院○○研究科博士課程単位取得退学」といった具合です。
「退学」という言葉のイメージによって、「途中でやめた」感がありますが、これは、「大学院の博士課程には通ったけど、在学している間に博士論文を書き上げることはできず、『博士』という学位は取得していませんよ。ただし、ちゃんと3年は通って単位は取得してます」ということを意味しています。「満期退学」も似たようなものです。
理系分野では、博士課程の3年で博士の学位を取ることが普通のようですが、文系はそういうわけではありません。
少し前まで、文系の大学院生(博士課程)は、学位を取れずに(取らずに)単位取得退学することが、「当たり前」と考えられていた感があります。(大学によって取りやすい、取りにくいという違いはよく聞きますが。)

最近は以前と比べると、学位を出す方向になっているようですが、やはり多くの学生は退学をしています。(この先2,3年で変わるかもしれませんが、あまり学位の乱発はしてほしくないものです。)
持っている学位は「修士」でも、修士課程にしか通わなかった「修士」の人と区別するためにあるとも言えるでしょう。
もちろん、博士課程単位取得退学者でも、その後、博士の学位を取得する人はたくさんいます。

一方、大学院博士課程在学中に博士論文を書き、提出し、博士の学位を取得した場合は、博士課程「修了」となります。

では、大学教員の公募の場合、この単位取得退学と修了とでは、どのように評価が異なるのでしょうか。

ケースバイケースではありますが、私の場合、「修了」と書いてあると、優秀な院生だったんだろうなという曖昧な印象をなんとなく持ちます。(なんとなくというところがミソです。)
評価に大きな差がつくことはありませんが、「修了」にはなんとなくカッコイイ響きがあると思ってしまいます。

もちろん、単位取得退学者が優秀でないとか、さぼってたんだろうなと思うことはありません。
博士課程在学中に学位を取ることのレアさと大変さを体感している世代だからこそ、「なんとなく」の良さを感じるのかもしれません。
しかし、その一方で、どこの大学が出している学位なのかということも気にします。
自分の分野なら、どこの大学の博士論文審査が厳しく、どこの大学の審査がそうでないか、ある程度わかるからです。

ま、結局は現時点で有している学位が重要なのですが。

ちなみに、私が初めて大学教員として採用された大学では、持っている学位が、博士か修士かによって、給料や昇給までの期間が違いました。

2013年2月22日金曜日

働きたい大学の特徴

私が働きたいと思う大学の特徴を勝手に挙げます。

1.学生が多い→大学が潰れない
2.大規模私立大学→給料がいい
3.講義担当コマ数が少ない→研究できる時間が増えるor丁寧な講義の準備ができる
4.研究費が豊富→まともに研究できる
5.事務職員が有能→無駄な仕事が増えない
6.教授会での決定が尊重される→ツルの一声でかき乱されない
7.名の知れた大学→一般社会で怪しまれない
8.教員たちがちゃんとした学者→アカデミズム特有の話が通じる
9.教員に任期を付けない→安心して働ける
10.キャンパス、建物がきれい→毎日働く場所ですから
11.便利な場所にある→毎日働く場所ですから
12.学食がうまい→毎日働く場所ですから
13.学生たちが元気→いい意味で

そんな大学日本に何校あるのでしょうか。
日本に800もある大学のうち、わずか7校くらいでしょうか。
そんな大学で教員してる研究者が心底うらやましいものです。